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2017-07-16

神社めぐりと狛犬さん|だから私は神社へGO!

 

そもそも、神社を参拝する意味ってなんでしょう?
どうして神社へ行こうと思われますか?

 

先日、この問いを置き逃げして参りましたが、
神社へお参りされる理由、なにかピンと来るものはありました?

とにかく下心満載で、

”なんとかしてよ、神さま!
あたし、こんなに頑張ってんだけど、見てくれてます!?”

的に手を合わせていた以前の私。
参拝の理由はずばり、

『私の願いを叶えて欲しいから』

素直でいいですねー。
そのまんまです。

 

しかしです。ヨガを学び始めて、
マットの上だけではなく、日常でもヨガを行じるようになってから、
こんなことに気付きました。
・・・・・・と言いますか、常に感じられるようになりました。

 

『私の中に、動かない何かがある!』

 

動かない何か。
表現が陳腐で申し訳ないのですが、確かに動かない。
動じないと言った方がしっくりくるでしょうか。

例えばですけど、時に心が抗ったり、
不安や怒りで満たされることがありますが、
それは浅い部分で起こっている一時的な反応で
より深いところでは、しっかりと客観視ができている状態。

『なにがあっても私は大丈夫。』
常に安心感と幸福感、そして絶対的な信頼感がそこにある。
この、動かない存在のお陰で。

 

それじゃ、その動かない何かってーのの正体はナンなんだ!?
ってことになりますが、
恐ろしく難解なこちらの本にありました、それらしき回答が・・・・・

 

※いやはや、タイトルからすでに危険な香りがしますでしょ?
6年前に購入して、5度の挑戦にも拘らず、未だゴールへ辿りつけない(涙

 

抜粋しまーす↓

心臓内部には、より精妙な組織が納められています。
歓喜に包まれた光が輝きわたる聖所が、この血液が集まってくる心臓内部の
小さなブドウのような形をした空間の中にあると言えます。

そして、この原因体と呼ばれる城郭の内部こそ、決して死滅することがない
真我が至上の保護者としての絶対者ブラフマン、
全知全能にして崇敬すべき父なる神とともに納められています。

つまり、ヨーガ行者が礼拝すべき寺院は、この心臓内部以外にはないと言えるのです。
この心臓の内部でこそ、ヨーガ行者は絶対者ブラフマンの姿を霊視し
歓喜に包まれることができます。

 

・・・・・・・なんだ?なんだ?なんだ?
訳、分かりません。お気持ちよく分かります。
私も分かりません(汗

 

ざっくりまとめてしまうとですね、
この世に存在するすべての人の内側には、神が宿っている。( はず。)
ということです。

絶対者ブラフマン、とか
真我、とか
歓喜、とか

・・・・・この頓珍漢ワードはいずれ、
機会を作って記事に上げたいと思います。宿題です。

 

あらゆる思考、問題、疾患も含めてですが、
決して留まることはありません。常に変化しています。

変わり続けるものごとに心が捕らわれる無意味さを
この動かない存在が気付かせてくれる。

 

神社を参拝する意味。
私の解釈で恐縮ですが・・・・・

動かない存在は目に見えないから、
その存在に対する思いや誓い、宣言を、
目に見える存在=神社へ意思表示をするために参拝する。
こんな感じでしょうか。

明らかに、以前の下心アリアリ参拝とは違います。
オトナになりました、わたし。

 

さて、本日の狛犬さんは、三重県鈴鹿市、椿大神社から♪
明治時代のものらしいですよ。趣がありますねー。
(お尻がカワイイので要チェキ!!)

 

 

☆狛犬さん情報も是非お寄せ下さいませ。
なにも差し上げられませんけど、心からお待ち申し上げております。

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